このページは、私雑食亭シムーンによるオリジナル百合小説となっております
女性同士の恋愛描写があります。そういった表現などが苦手な方は、このページはブラウザバックされることを推奨致します。
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女教師と生徒
私が当時年上だった、誰よりも大切だった女性の死を知ったのは、高校生のときだった。あんなに愛していた人の死だったのに、それを哀しいと思うだけに出来なかったのは、知りたくもなかったことを知ってしまったからだ。
いや、本当に私は知っているのだろうか? 多分それは嘘だ。私は、真実を知らない。深く追求せずに、逃げてしまった。今もきっと逃げ続けている。
「女性は、当時付き合っていた男性と車で旅行中に事故に合い……」
男性……? 事故……? 付き合っていた……?
──私のことを、一番好きだといってくれていたのに?──
その訃報による衝撃は、あの人と一緒に死んでしまった男性との関係を聞いてしまったがために、別のなにかへと変化してしまった。お葬式には参列したし、家族の方には親しい後輩だと思われていたから、参列そのものにはなんの違和感もなく受け入れて貰えたのだけれど。
──私の心は、あの時からずっと針が進まない。凍えて、止まったまま。きっと動き出すことはない──
今日は嫌な夢を見た。度々見るが、見るたびに心が軋んでしょうがない。もう、あの人より年上になってしまったというのに、私の心は、ずっとあの時に引きずられ続けるのだろう。
教師という道を選んだが、本当にそれは正しかったのだろうか? そうは思うが、教師になること自体は昔からの夢だった。あの人も、私の夢を応援してくれていた。ヒスイ先輩……故人に囚われている人間が、他人に教鞭をとることの皮肉を、感じざるをえない。
「……今日は早く帰ろう……」
だめだ、今日はいつも以上に心が軋んで傷んでいる。とてもマトモに仕事出来そうにない。天が泣いているように、私の心も泣いている。雨という陰鬱さに、さらに心が沈む。
幸い今日は新入生の入学式で、それに備えて前から準備もしてきている。最低限の仕事を済ませて、帰り支度を整える。今日は早く休んで、明日に備えればいい……
──そう、思っていたのに──
「先生、お久しぶりです」
「……え?」
そういって、顔を隠すように下げていた傘を上に掲げる少女……いや、これはきっと悪い夢なんだ。なんでヒスイ先輩がここに……
「どうしたんです、トキコ先生? 『まるで死人でも見た』ような顔をして」
「……あ……」
言葉が出ない。声も、自分でなにをいっているのか理解が出来ない。思考が出来ない。息が苦しい。目の前にいる女の子が、ヒスイ先輩だなんてあるわけがないのに、目の前にいる少女はこんなにもヒスイ先輩に似て……
「コハクですよ……ふふ、『ヒスイお姉ちゃん』だとでも思いました?」
その言葉で、ギリギリ頭が動き出す。そう言えば、昔ヒスイ先輩の、年の離れた妹さんには何度も会ったことがある。ヒスイ先輩とよく似た顔つきで、将来はきっと美人さんになると、そう思っていた。
──そう、きっとヒスイ先輩みたいに──
そこまで考えて、私の思考は断絶した。
コハクは、トキコさんが急に走りだしたのを止めはしなかった。混乱していることは容易に察せたし、この顔は予想以上に先生に効果があったみたいだ。今日は、それが確認出来ただけでいい。
「まあ、逃がしませんけど」
コハクは内心で笑みを浮かべる。そうだ、私はトキコさんに合うためにこの学校にきたのだ。トキコさんのことは、調べられる限りを尽くして探した。姉の件もあって親も私に不審感なく協力してくれたのは、なかなかに僥倖だった。流石に未成年の自分一人で探すとなると、手段が限られる。
もっとも、最終的に同じ学校に通うことが出来たのは、トキコさんが赴任先に選んだ学校のおかげなのだが──
──だって、自分の母校だからって言い訳したところで、明らかにヒスイお姉ちゃんとの思い出があるからでしょう? 裏切られたと思っているだろうに、未練がましいねトキコさんは──
でも、そんな自分も十分に未練がましい女だということは、分かっているのだけど。姉に似た顔を利用すらして、好きになってしまって忘れられないあの人を、今も追いかけているのだから。
まずいことをしてしまった。流石に生徒から脇目も振らず逃げ出すのは、はたから見てもどうかしている。それに、そもそもどうやって家に帰ったかの記憶がない。気がついたら部屋にいて、自分があの場から逃げ出したことが分かった。
傘もさしてはいたようだが、走ることを優先していたのか、ろくに体を守れていない。おかげで全身が濡れていた。すぐに着替えたから、今日は体調が悪くはなっていないが……
しかし、天気は晴れても心は晴れない。あの子は、コハクと名乗った少女は、後になって思い返せばかすかだが記憶がある。だから、彼女がヒスイ先輩の妹なのは、多分間違いがない。間違いではないのだが……
(なんであの子は、この学校に来たの?)
自分を追ってきたのか? いや、でもそんなことあるわけ……
「廊下を歩いているときに、考え事はよくないですよ。トキコ先生?」
「ああ、そうね。ありが──」
固まる。自分が考えていた少女が、ヒスイ先輩によく似た顔の少女が、今目の前にいる。
「な、なんで……」
「……? 私はこの学校の生徒ですよ? 新入生ですけど、この学校にいることはおかしくはないのでは?」
そういって、からかうように笑っている。実はこちらが聞きたいことは、分かっているのではないか。どうしてこの学校を選んだのかとか、どうして昨日私に声をかけて来たのか、とか……
「……思ったより重症みたいですね……放課後、いいですか? 私は1-Cですから、放課後にクラスの方に来てください」
「なんで私が……」
「話を聞きたがっているの、トキコ先生の方だと思ってたんですけど。それとも、この場でお話します?」
冷静に話を聞けるような風には、とても見えませんけどね。そう言われている気がした。確かに、それは当たっている。そもそも、今は衆人の目があるという点を差し引いても、到底ゆっくりと会話できる状況ではない。こちらも、まだまだ授業があるのだ。今はたまたま空いた時間で──
「それじゃあ、また後で」
そういってさっていくコハクを、トキコは追わなかった。ただ、冷静になると色々とおかしい。なぜなら、ここは二年生の教室。あの子は1-Cで一年生ということは、教室まで距離がある。ということは──
──あの子、もしかして、ずっと私に会うためにここで待ってたの?──
それはもはや、恐怖に近いなにかだった。こちらが離れたがっている過去と、強引に自分を向き合わせる……いや、それは違うのかもしれない。本当に離れたがっているのなら、どうして私はこの学校を選んだのだろう。結局、私はどっちつかずに生きてきて、そんな私に彼女はなにを求めているのだろうか?
ヒスイとコハク 後編
