このページは、私雑食亭シムーンによるオリジナル百合小説となっております
女性同士の恋愛描写があります。そういった表現などが苦手な方は、このページはブラウザバックされることを推奨致します。
その点、ご了承の上でお楽しみいただけますと幸いです
鬼と生贄の少女
ようは口減らしだ。
生贄に捧げられたはずの私を、なぜか丁寧に扱ってくれたキレイな鬼の女性は、そう私に告げたのだった。
「お前を助けたのは、ただの気まぐれだ」
そう語られても、私は困惑するだけだった。生贄にされる予定だったのに、助けられても私はこれからどうすればいいのだろう?
「……心配せずとも、しばらくは面倒をみてやる。暇つぶしにはちょうど良かろうて」
私の困惑が伝わったのだろう。彼女は私に笑みこそ見せなかったものの、私に気をつかってそう宣言したのだった。
「連中にいいように使われるのも、飽きてきたところだ」
その言葉の意味は、その頃の私にはよく分からなくて。でも一つ感じたのは、この人はきっと村人たちが言っているほど無慈悲ではなく、ましてや暴力的でもないということだった。
「そういえば、お前の名は……これからはベニと名乗れ。どうせ元の村には戻れんのだ。このさい、昔の名前は捨てろ」
「それから、私の名前はツバキだ。覚えておけ」
昔の名に全く未練がなかったかといえば、嘘になってしまうが。かといって、昔の名前に執着する意味はない。そう思えたから、私はツバキ様の言葉を受け入れた。
「……はい、ツバキ様」
そう返事を返したあの頃、私はツバキ様の胸ほどの身の丈しかない、ただの幼子だった。
村の連中は、私が供物に捧げられた人間のことなどなにも知らない、と思い込んでいる。だが、それは大間違いだ。昔はともかく、今は人が増えてきた。あまりに暴君として振る舞えば、人によって都から討伐のための兵が送り込まれてくる。だから、人間の事情にもある程度精通しなくてはならなくなった。
そうして知ったのは、この娘は生贄という体裁で送り込まれた、ということだ。実際には、この少女を養えなくなった家の連中が、どうせ捨てるなら私に供物として捧げた方が、私が村の守り神として振る舞ってくれるだろう、という打算的な考えで送り込まれたに過ぎない。
──なぜ鬼である私が、脆弱な人の子の、浅知恵を弄する村の連中の思い通りに動かなくてはならない──
その反抗心が、私にこの少女を匿うことを選択させた。もっとも、私が供物とされた人間を助けたことは、はじめてではない。生まれつき体が弱いもの、病を患っているものなど、私についてくればどのみち先が長くはないものについては、流石にその限りではなかったが。
とはいえ、供物と言われて人を差し出されても、弱った人間を好んで食さねばならぬほど、食べるものに困っているわけではない。むしろ、最近は村の中から体よく厄介払いをするための、口実に利用されている節さえある。そのような人間を食して、それで村の守り神だなどとうそぶく輩たちに、うんざりしてきていた。
昔は、村の守り神として確かに恐れと、それ以上に畏敬の念が込められていた。だから、あえて生贄として送られた者たちを、無下に扱わなかったが。今は都合よく鬼さえ利用しようとする、人の浅ましさへの反発心が根底にある。それゆえに人を食することはしなくなった。
──もはや、供物と呼ぶのもおこがましかろうに──
それに、人と語らうのは多少の暇つぶしにはなる。ベニを育てることにしたのも、最初はその程度の動機だった。
「ツバキ様! 今宵は月がキレイですよ」
「そうだな……」
その言葉に、夜空に浮かぶ月を見上げる。今日は満月だ。雲一つない天に、月の凍えるような光がよく映える。私は、そのようなことに気を配る余裕さえなくなっていたのか。
ベニは、今まで育ててきた人間の中でも、特に素直で従順だった。とはいえ、別に私のことを怖がっているから従順、というわけでもない。どういうわけか、本当に心底慕われているように感じる。
私が鬼であって人ではないことを理解し、そしてその気になれば自分が食われる立場なのを承知で、そのようにふる舞っているということを、長い共同生活で理解していた。
「ベニ……今日はお前に大事な話がある」
「……なんでしょう、ツバキ様」
こちらの雰囲気で、なにかを察したのか今までのどこか無邪気な顔つきから、真剣味を帯びた表情へと変化する。こちらも、それで話す覚悟が決まった。
「お前は、明日から人間の里にいけ。もうお前は、人の中でも生きていける」
ベニは、その言葉に息を飲んだ。とはいえ、私は元々こうして生贄としてよこされた人間の多くを、このようにして別の里へ密かに送っていたのだ。今回もそれと同じだ。よそ者には排他的な人里は多いが、だからといって人を看取るまで連れ歩くのは、流石に面倒だ。
「定期的に生贄もくる。お前まで連れ歩く余裕はない」
これもまた事実だった。ベニのような幼子もいる以上、生贄として送られた存在を守るなら、もう十分成長した人間まで連れ歩くのは邪魔になる。
「……分かりました、ツバキ様……」
ベニは私の言葉に頷いた。美しく、そして聡く成長したベニは、いつも通りの聞き分けのよさで──
「では、私を食べてください」
「なぜ、そうなる?」
分からない。なぜ、ベニがそう言ってくるのか。なぜ、私の声が震えているのか。この感情がなんなのか、分からない。
「私を食べて、ツバキ様の力としてください。そして、次の子を育ててください」
「……お前は、自分がなにを言っているのか分かっているのか?」
「分かっていないのは、ツバキ様の方です……!」
ベニは、涙さえ流しながら私に詰め寄る。私の方が遥かに強靭な肉体を持つはずなのに、なぜか鬼である私がただの人の子に、気圧されていた。
「ツバキ様と離れるくらいなら、せめてツバキ様の血肉と血潮になりたい! ツバキ様と離れるくらいなら、私はツバキ様の糧になり……! そしてその存在を永遠に魂に刻み込まれたいのです……」
段々と声が弱まっていく。とはいえ、それでベニの決意が弱まったわけではないだろう。むしろ、その眼光だけなら鋭さをましている。私を決して逃すまいとしているかのように。
「育て方を間違えたな……普段は従順なくせに、こういう時だけ妙な気概をみせおって……好きにしろ。勝手についてこい」
「……え?」
ベニは、本当に私の糧になるつもりだったらしい。まあ、言葉に全く嘘がないと思ったからこそ、こちらも折れる気になったのだが……
「お前を私の魂に刻み込め……? よくも偉そうなことがいえたものだ。そんなのはごめんだな……だがちょうどいい機会かもしれん。村の連中も、もはや私を上手く利用することしか考えていない……住む場所を、移すことにするぞ。しばらくは流浪の旅だ。覚悟しておけ」
「はい……! ツバキ様!」
現金なものだ。先程まで涙を流していたくせに、なにが嬉しいのか笑顔を浮かべている。
「ところでツバキ様……私が足手まといになったら、すぐに私を食べてくださいね。私はツバキ様に迷惑をかけたくないのです……」
「ごめんだな」
殊勝な心がけといいたいが、お前のその言葉で、お前は食べないと心に決めたぞ。お前は一生私についてくるんだ。
──お前との旅路は、きっと私にとって忘れられないものになるのだから──
お前が、私の魂に存在を刻みたいというのなら、せいぜい長生きをしてみせろ……それにしても、まったく誰に似たのやら……ツバキは内心で嘆息した。