朱に交わりたくて

このページは、私雑食亭シムーンによるオリジナル百合小説となっております

女性同士の恋愛描写があります。そういった表現などが苦手な方は、このページはブラウザバックされることを推奨致します。
その点、ご了承の上でお楽しみいただけますと幸いです
教育実習生と生徒
 黒板に向かって、自分の名前を書く。朱の音と書いて、アカネ。柊朱音という字を書くのさえ緊張して、うまく書けたかどうかを気にする余裕がない。
「朱の音と書いて、ヒイラギアカネといいます。今日から短い期間ですが、教育実習生として頑張りたいと思います、よろしくお願いします」
 よかった、なんとか噛まずに挨拶は言えた……でも、生徒たちの顔を見る余裕が全くない。どうすれば──

──あれ、あの子、もしかしてコトネちゃん……?──

 極度の緊張状態。それでもなぜか、生徒の一人だけ顔がハッキリと認識出来た。それは多分、昔から見慣れた親戚の子の顔だから、だと思う。
(鈴木琴音……従姉妹と同じ名前の子だとばかり思っていたけど、多分間違いない)
 その子は、昔から私に好意を持ってくれていた。なぜだかは、私にはよく分からなかった。けれど、だからこそ私もよく覚えている。私をお姉ちゃんとしたってくれていた少女が、今私の目の前に、いる。
 なぜだか、それを強く意識してしまって、今までの緊張感は吹き飛んでしまった。代わりに、自分が今なにをしなければならいのか、その段取りさえ吹き飛んでしまって、急いでそれを思い出そうとする。

 退屈だったはずの日常が、一気に色をかえた。色褪せていた目の前の景色が、鮮やかな色彩を帯びて、たしかな躍動をはじめた。
(お姉ちゃん……?)
 アカネという名前と、その顔からして間違いない。私はいついかなるときも、その人のことを忘れたことはない。

──私たち、名前に音の漢字がお揃いなんだよ……すごい偶然だよね!──

 はじめて会ったとき、そういってまだ人見知りだった私を気遣って、優しく微笑みかけてくれた。私の従姉妹だと、そのとき知った。そう、私の従姉妹。だけど、私の、私だけのお姉ちゃん。昔、いつも言っていたことを覚えている。

──私、お姉ちゃんのお嫁さんになるの!──

 お姉ちゃんは笑っていたけど、私の言葉を否定はしなかった。それは嬉しいな……そんな風に、いつも喜んでくれた。
 ……時がたつにつれて、次第に言えなくなってしまった、幼い日の思い出。いや、違う──

──私は今も、お姉ちゃんのお嫁さんになりたいのだ──

 ただ、時がたつにつれてそれが難しいことを悟り、そしていつの日からか、それを否定されるのが怖くなって、ずっと口に出せなくなってしまった。お姉ちゃんが高校生になって以降、忙しくてなかなか会えなくなってしまった。
 それでも、私の思いは変わってはいない。変わっていないのだと、お姉ちゃんの顔を見たときに悟ってしまった。私は今でも、お姉ちゃんのことが大好きなのだと──

 うう、恥ずかしい。まさか、教育実習中だというのに、久しぶりにあう従姉妹に思わずコトネちゃん……などと話しかけてしまった。女子校の高校生たちだから、コトネちゃんってもしかして! となにやら盛り上がられてしまったけれど、コトネちゃんの方から、
「実習中はコトネさんって呼ばないとダメだよ、いくら従姉妹だからって。ね、アカネ先生」
 そうたしなめられてしまった。なんてダメなんだろう。でも、コトネちゃんがそう言ってくれたから、ああ親戚だったのか。でも、すごい偶然だね……という風に、一気に周りの空気が落ち着いたのを感じた。こういう失敗は、もうしないようにしないと。
 そうやって、放課後になって今までの反省をしながら、今後の予定を考えていたときだった。
「あの、ヒイラギ先生」
「……? ええと、タチバナ……さん?」
 しまった。名前と顔がなかなか一致しなくて、思わず疑問形の口調になってしまった。でも、この子はみんなの中でも特に鮮烈な気配を放っていたので、名前を間違えてはいない……と思う。中性的な容姿で、周りの子たちからも、まるでアイドルみたいな扱いを受けていた。でも、キレイな容姿にとても洗練された仕草。文武両道頭脳明晰ともなれば、女子校でアイドル扱いされるのも頷ける。
「あってますよ、そんな自信なさげにしなくても」
「……うう、ごめんなさい」
 明らかに言い淀んでいる時点で、まだ名前を覚えきれていないと白状したような物だ。それをサラリと受け流してくれたタチバナさんは、きっと優しい子なのだろう。
「それで、私になにか用事?」
「すみません、コトネとの関係を知りたくて、つい」
 コトネちゃん……? この子と親しいのだろうか。なんだか感慨深い。はじめてあったときのあの子は、かなりの人見知りで、私からも距離を置こうとしていた。そんな彼女に、名前がお揃いだね! なんて思わずいってしまったのは、なんとか彼女と仲良くなりたかったからだ。
 はじめて顔を合わせたとき、なんとしても仲良くなりたいな、と思ってしまったのだ、でも、なにを口にすべきか、さっぱり思い浮かばない。そんなとき、思わず口からころび出た言葉。でも、それがキッカケでコトネちゃんは私に懐いてくれた。こんな、私に──
「コトネさんは、私の従姉妹だよ、ただそれだけ」
 その言葉に、自分で自分が傷つくのを感じた。そう、彼女たちとは違う。私は彼女の親戚だけど、彼女のクラスメイトとして、共に学んだり仲良くしたり、ときにケンカしたり……そういう日常を、共には歩めない。そのことを自覚すると、なぜか胸が痛む。
「そうなんですか……いや、彼女が気にかけているから思わず……でもそれなら私と彼女が付き合ってるっていっても、大丈夫ですよね?」
「……え…‥?」
 その言葉に、思考が完全にフリーズしてしまう。この子と、コトネちゃんがツキアッテイル……ホントウニ?
「アカネちゃん!」
 そのときだった。その思考を完全に粉砕するような、強い口調で。コトネちゃんが、怒気すら感じる言葉を発しながら、タチバナさんの腕を掴んでいた。
 というより、コトネちゃんは今までどこにいたのだろう。まるで気付かなかった。
「アカネちゃん、ちょっと待ってて!」
「分かったから、あまり強く引っ張らないでくれるかな、コトネ」
 そう言い残し、二人が去っていくのを鈍った思考で見送ることしか私には出来なかった。

 頭が痛い。なんてことをしてくれたのだろう、コヤツは。なんとかアカネちゃんに声が聞こえない、かつ周りに人があまりいそうにない場所に移動出来た。その瞬間、タチバナに詰め寄る。
「タチバナ! いつから、私とアンタが付き合ってることになった! 私は……!」
「分かっているよ……だから、コトネに対するお節介……かな」
「はあ……!?」
 相変わらず、頭が煮えくり返って仕方がない。冷静な思考が出来ない。タチバナとは確かに、他の子たちよりは仲がいい。だが、それはあくまで友情の範疇だ。それを、よりによってアカネちゃんに……許せるはずがなかった。
「いや、だってコトネってアカネ先生のことが好きなんだよね? ……もしかして、違ってた?」
「な……いや、そうだとして、それがなんだっていうのよ!」
 タチバナは見抜いていた。ダテに、女子校のアイドルをしていない、ということだろうか? しかし、そうだとして、どうして──
「なんだか、君がアカネ先生に思いを伝えられていない気がしてさ……気のせいだったなら、平謝りするしかないけど」
「……アンタ……」
 思わず、頭を抱える。それはそうだけど……それはそうだけど……だからわざと付き合ってるとか言い出したのか、この女……そこまで考えて、ようやく気付いた。
「もしかして、私が近くにいるの気付いてたの!?」
「そうだけど?」
 ぬけぬけと、タチバナはそういってのけた。だが、ようやくコイツの意図が分かった。分かった上で思わず愚痴が出る。
「アンタ、本当に、余計なお節介してくれたわね」
「ゴメンゴメン」
 その謝罪には、あまりに誠意がない。でも、シャクだがこれで自分の腹も決まった。コイツの後押しがなければ、もうしばらくは、決心がつかなかったかもしれない。だが、全く感謝する気にはなれない。だから、吐き捨てる。
「でも、ありがと」
 その言葉だけの謝罪を受け、タチバナはにこやかなほほ笑みを浮かべていた。コイツには後でなにかしらしないと、こちらの気がすまない。だが、今はそんな場合じゃない。急がなければ──

「アカネちゃん!」
 そういいながら、コトネちゃんが抱きついてくるのを、思わず受け入れてしまう。生徒と先生なのに。
「ねぇ、私が昔からいってたこと、覚えてる……?」
「うん?」
 思考が追いつかない。というか、タチバナさんとコトネちゃんの関係がよく分からない。

「私、アカネちゃんのお嫁さんになりたい……今も、ずっとそう思ってるよ」
「ええ……!? いや、それは覚えているけど……昔の話し──」
「私は、そう思ってない。アカネちゃんは……? 私のこと、どう思ってるの?」
 どう思っているのか。今までは、ふかく考えないでいた。いや、あえて深くは考えないようにしていたのかもしれない。はじめてあったその日から、私はコトネちゃんと仲良くなりたかった。今は、どうだろう。
 もっと、仲良くなりたいのだろうか……? 少なくとも、そのことに違和感はない。むしろ、タチバナさんとの関係を詳しく聞きたい。だから──
「私も、コトネちゃんのことが大好きだよ。他の誰よりも、コトネちゃんが特別だよ」
「よかった……」
 そう言って、安心するコトネちゃんに対して、思わず冷気を帯びた声音が出てしまうのは、仕方がないことだと思う。
「だから、タチバナさんとコトネちゃんの関係について、教えてくれるかな?」
「あ゙あ゙!」
 コトネちゃんから、奇っ怪な叫びが漏れた。そして、彼女とタチバナさんが付き合っていない、という釈明を長々と聞くことになるのだった……
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